切り替えるための自分への問い

こちらの記事のつづきを書く前に、
この質問に対する答えを導き出そうと思います。

その質問とは、

「本当に欲しいものは何?」


欲しい形や結果ではなく、
どんな気分を味わいたいのか? どんな感覚を感じたいのか?

を自分に問うてみることにします。

自分がこの人生で、この生命で、自分として生きて、
何を味わいたいのか? どんな気分を感じたいのか?



こういった問いに対して常に出てくるものは、

  • 自由
  • 解放感
  • 安心感
  • 美しいと感じるものに出会い感動すること

好きなときに好きなことができている自由さ。
この世界は広いのだと感じられること。
この自分でいいんだという感覚。
この世にあるものすべてに感謝の気持ちが湧いてくること。

あと、
HSPでエンパスのわたしに必要なのは、
ひとり静かに過ごす時間と、
いつでもゆっくりゆったりできること。

望むものの中には、落ち着いていられる安心感といった
『静』の要素が大きいと思います。

何かに追われていたり、
いろいろとやることがたくさんになるよりは、

やりたいこと、自分の周りにあるものに対して、
丁寧に向き合えることに喜びや充実感を感じます。

忙しくしない、慌ただしくしないでいられるだけで
自分を生きる安心感にも繋がります。

「予定は未定」が大好き!
LINEやメールは最小限でよし! 笑


いま書いていて思ったのは、
やることがたくさんになっても、自分のペースで
ゆったりできるといいのかもしれない。

というか、
自分のやりたいことだったらたくさんでもOK!
が正解かな。

わたしの場合、 ”忙しい” と感じるのは、
”周りに合わせる必要がある” と思っているときに感じていて、

たとえそれが自分以外への配慮であったとしても、
そこには他人軸の目線が入る余地があって、
本当の自分からズレがちになるからあまり心地よくない。


これだと少し寂しい感じがある?
間違ってはないけれど、ほんとにそれだけでいいの?



この問いに対してここ最近出てくる答えに、
”このわたしを生きていることが嬉しくて楽しくてたまらない!”
というものがあります。

この自分を生きているという喜び

楽しむことがヘタクソだったわたしは、
楽しむことへの抵抗やブロックがたくさんありました。

まだ残っているものを、今日ここで手放してしまおうと思います。

10代の頃うつになり引きこもっていたときに、
”こんなわたしは楽しんではいけない、笑ってはいけない”
といった間違った思い込みを自ら作りだし、

その後なんとか社会に出るられようになってからも、
心のずっと奥で、この自分で大丈夫だろうかと、
常に恐るおそる生きているといった感じがありました。

人や世界が怖い。

自分を楽しむどころか、
しなければいけない(と思い込んでいたこと)ことにばかり意識が向き、
自分がどうしたいかより、どうすればいいかばかり考えていました。

自分の ”好き” がわからなくなったのも、
この在り方をつづけていたからだと。

思うようにいかないこと、うまくいかないことをたくさん経験し
それでもなんとか自分を生きてきて、

その中でたくさん失敗し、自信をなくし、弱々しくなってしまったわたし。
そんな一部分がわたしの中に存在していて、

楽しむことより無難に安全に生きることを
無自覚のうちに選択し続けていたと思います。


自分を生きる安心感だけではない、
”嬉しい!” ”楽しい!” といった喜びに満ち溢れたわたしを生きる。
これを望むもののいちばん上に持ってきてあげようと思います。

このわたしを生きていることが嬉しくて楽しくてたまらない!
わたし、わたし大好きー♡

この気分を味わいながら、自分を取り戻す日々を重ねていきます。

明日は秋分の日。
切り替わりの日ですね。

この自分を生きてみて、どんな体験をするか。
これからのわたしが楽しみです♪

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